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茨城をテーマまたは舞台にした小説集です。小説 の舞台は、霊峰筑波、徳川光圀公の本拠であった 水戸、東国の武神を祭った大社を持つ鹿嶋など。 |
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−親鸞さんは比叡山の資料はたくさんありますね。五木寛之氏の「親鸞」を読みましたが、比叡山時代のもので、茨城などは出てこないんです。
親鸞さんは、比叡山に九歳から二十九歳までいました。それから今度は、法念正人の元に行くんです。お師匠さんといっても過言でない方です。
−日蓮さんは現在の創価学会の祖というぐらいの方ですが、親鸞さんはどういう流れなんですか。
法念様と出会って、その後は、新潟県に島流しにされるんです。当時、比叡山は念仏のに対抗しているといわれ、弾圧されたんです。そのあおりです。その後、関東のほうへ来るわけですらね。四十歳から六十歳までです。
−親鸞さんはどういう修行をしたんですか。
比叡山の堂僧といって、お堂を守る修行をしていたそうですよ。比叡山にはたくさんのお堂がありますが、その一つを守るお坊さんだったんです。
−ところでお坊さんというのは袈裟を脱ぐと自由になれるんですか。
いや、そんなことはないですよ。袈裟はずっとつけていますし、仏法という法を守っていくのが僧侶ですから。
−また、脱線しますが、京都の知恩院は大学もあるそうなんですね。
比叡山もそうですが、仏教では、学ぶところを大学といったんです。大学からは、新島襄とか大隈重信とか輩出しています。政府が認定した学校法人とは違うんです。
−親鸞さんは歎異抄で宿業ということを言っていますよね。
言っています。人間が持っている業のことです。煩悩なども入ります。女、男としての業とか。持って生まれてくるものです。
−人間として生まれてくるということはどういうことですか。
御縁ということですね。宿縁ということです。運命ということですが、仏教では縁と言っています。
−死ということは親鸞さんはどうとらえていたんですか。よりよく生きるために考えていたんですか。
これはね、死というのはご浄土へ帰るということなんです。人間というのは縁があってご浄土からうまれてきて、娑婆の縁つきて、帰るということなんです。親鸞さんもそう思っていたんだと思いますよ。
−国家鎮護とか宮廷護持などは親鸞さんは唱えていましたか。
親鸞さん以前の仏教です。宮廷護持というのは天皇家や貴族を護るということです。鎌倉仏教以前の仏教ですね。国家護持もいっています。国を護るということです。それはお坊さんが学ぶための仏教だったんです。一般民衆に浸透しませんでした。親鸞さんはお山の上の仏教をし一般民衆のもとへおろし広めていったんです。一般民衆が仏教を信仰するようになったのは鎌倉時代こうじゃないでしょうかね。
−悪と善というのは業で決まってきたんですか。
悪と善というのは、悪業煩悩などというんですが、法律の刑法の悪と違って、仏様から見た善悪で、人間の迷い、煩悩を悪というんです。思ってはいけないことを思ったり、言ってはいけないことを言ったり、どんな善人でもあることなんです。
−親鸞さんは煩悩と壮絶な戦いをしたんですか。
ええ。並みの人の百倍も闘いました。
−ありがとうございました。
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