小説の茨城  茨城をテーマまたは舞台にした小説集です。小説
 の舞台は、霊峰筑波、徳川光圀公の本拠であった
 水戸、東国の武神を祭った大社を持つ鹿嶋など。
復讐 ふくしゅう −通り魔への一撃− <1> 矢作幸雄
 
 
筑波編
<1>

 筑波研究学園都市の中核である筑波大学から、そう遠くない林の中に、筑波整体専門学校とい
う小さな建物がある。林の中にあるので外部から中の様子は見えないが、女子も少しはまじわっ
て通ってくる十名ばかりの学生は身体が鍛えられ、いかにも整体師を目指す若者を養成する施設
かと思われた。
 しかし、内容はまったく違っていた。ふつうの整体師を養成するかのように思わせながら、こ
こでは鹿島古術と仮にいわれる武術を学ばせ、ある目的を達成するためにだけ若者を集めていた。
 鹿島古術は幻の武術であって、知る人は殆どいない。鹿島は武道の祖神武甕槌神を祀る鹿島神
宮の門前町なので塚原ト伝の伝えた鹿島新当流、上泉伊勢守の流れを汲む鹿島神伝直心影流、国
井影継を開祖とする鹿島神流などが著名であるが、鹿島古術は流祖がない。
しかも寛文十年に鹿島事触が幕府によって廃止されてから事触れが習得した体術も姿を消して三
百年も姿を見せなかった。
 或る武術研究者は「仮に鹿島古術という武道が存在するとすれば、それは奈良、平安の昔から
鹿島の神の神トを伝え歩いた鹿島事触れが道中の身の安全を護るために習得した武術で、体術と
もいうべき術であり、剣や槍などの武具を手にしない武術であったと思われる。そして、その術
は鹿島には残らず意外にも瀬戸内に残ったようだ。」と評した。
 
 筑波整体専門学校は飛鳥りんという八十二歳の女性が開設したといわれ、時折それらしい白髪
の品性豊かな婦人が校庭に姿を見せるが、詳しいことは学生にも知らされていない。
 現在学校の経営に当たっているのは元警視庁の幹部であった鈴木秀利で、武術指南は竹森自在
と名乗る老人であるが、自在は肉体的には三十代の若者のように若々しい。
 この小さな学校に関係している者のすべてが一点で共通しているのは、外部の者には知らされ
ていない。
 それは道路上を歩いていた、または自転車等にのっていてすれ違いざまに加害者によって、被
害をうけた。「いわゆる通り魔事件」関係者であるということで、この一点を外せば年齢も、社
会的地位も性別もまったく共通性がない。従って外部から見る限りは単なる整体師の学校でしか
ないのである。もっとも通り魔という犯罪名はない。強盗殺人、傷害致死、ひったくりによる事
故死などに分類されることになる。
 飛鳥りんは夫と二人で経営した会社を委ねるべき一子を通り魔に奪われ、数十億円を超す資産
を国に寄附すべく考えたものの、夫の急死によって多額の税金を徴収され、我が子の無念さから
検挙率の低い通り魔殺人の撲滅に残りの私財すべてを投げ出したのである。
 息子の通り魔に襲われた一件を指揮した鈴木との心の交流がこの小さな学校の基盤となってい
るのである。とくに加害者のための法律はあるが被害者の家族に対する法の保護はない。それが
開校の理由だし、国がやらなければ私がやるとりんはいった。竹森師範は鈴木が尊敬する武道家
であるが本業は不明。名の如く自由自在で、ある日は新宿の街中で易占の灯りを掲げ、ある日は
茨城の農地で畑を作り、またある日は漁船に乗り込む姿が見られるなど多彩な生活を送っている。
竹森は新宿で人生相談を受けているとき、眼の前で発生した通り魔事件を止めることができなか
った悲しみから、鈴木の懇請に応じたものである。
 ここまで書けば読者諸賢にはすでに学校の内容が理解できているに違いない。その通り、この
筑波整体専門学校は、通り魔殺人事件を防ぐため、のいや、通り魔を撲滅するための民間の専門
学校なのである。ちなみに、学生は通り魔に襲われた被害者の肉親で調査機関が選び抜いた的確
者が、最終的には飛鳥りんの目で更に選ばれて入学したのである。勿論授業料は無料。そればか
りか筑波での生活には一定の生活費が支給され、卒業してから十年間通り魔を防ぐ為、それぞれ
が仕事のかたわら、目を光らせていることに対して手当が支給されという国などでは考えられな
い行き届いたシステムを作り上げた。
 飛鳥りんは父を兄や姉を通り魔に奪われて自暴自棄になる若者に、生きる力を与えることによ
って、自分自身も生き甲斐を見出したわけである。