小説の茨城  茨城をテーマまたは舞台にした小説集です。小説
 の舞台は、霊峰筑波、徳川光圀公の本拠であった
 水戸、東国の武神を祭った大社を持つ鹿嶋など。
2004年6月号
 
 矢 作 幸 雄  影与力『不殺の剣』Vol.2
Vol.3(7)は7月号に掲載予定です。
 北 川  吏  芸術化村の思想/芸術村とは
芸術化村の思想

(新しき村に就いての対話・武者小路差実篤より)

僕はこの世の中に食うために働く人が一人でも居れば、それはこの世の中がまだ完全でないこと
を示していると思う。額に汗して汝の糧を作るべしという時代はとうに過ぎ去っている。

自分は労働をのろいはしない。しかし食うためにいやいやしなければならない労働はのろいたい。
労働は人間が人間らしく生きるのに必要なものとしてなら賛美世する。

人々は強いられずに、名誉のために、人類のために労働するという時代がこなければならない。

 衣食住、健康に生きるために必要な衣食住をただで得られるようにするほかないと思う。また、
義務以上の力を出して、より気持ちよく生きるように工夫するのは言い。しかし健康に必要な衣
食住はただで得られる国が自分たちにとって必要だ。そういう国ができて初めて自分たちは人間
らしく生きられるのだ。学校も、教科書も、病院もただでなくてはならない。芝居も、特別なも
のを除いてはただでなければならない。
 役者も一年のうち一ヶ月はただで芝居をする義務がある。画家もただで背景を描く。
作者もただで脚本を提供する。私的なことにはお金がかかる。しかし、万人共通なものはただで
いい。
参考
 芸術家のたまごや、りっぱな芸術家は、作っても食べていけない野菜や米など作っても意味が
ないと思いますが、労働に汗を流す、そして作家が自殺するなどと定番で見ていられたのを、健
康的な生き方で払拭することができる。
 北海道のシンガーソングライター松山千春や長野県の音楽家キタローなど農芸両立を実現して
いる人は多いと思います。

 外国が水飢餓になったら食物が日本にこなくなる。第二次世界大戦時、田舎に疎開し一時期国
民の半分が農業をしていた。今は専業農家で四十万人に減りました。

芸術村とは

 村長や助役や議会も要らない。まして役場などいらない、何か決めるときは共同で、公民館で
決める。、村民は入居したければ簡単な芸術的テストで、その可否が決められる。暮らすのは共
同宿舎だが個室はある。食堂もあり、村民が一緒に食事する。年齢、性別、体力差によって働く
仕事の内容が決められる。
 農業で自活することはでせきないので、この村は茨城県だが、東京に、支援団体を作り、芸術
家村の雑誌発行などで広報活動をして寄付を募る。また、芸術化村に苗木を送ろう、などと運動
もする。
 労働は五時間とし、あまった時間は、芸術活動に当てる。作品は芸術化村作品展として、東京
のデバートで開く。
 また、この芸術村には立派な美術館も設置し多くの観客を呼ぶ。
 何周年記念と、記念祭をたびたび開き、村の劇場で芝居の発表会を開き、一般客を呼ぶ。

 星    聖   夜   インターネットの功罪

インターネットは世界につながっているわけでしょう。世界中の人が見るものですから、個人の
秘密情報を出すことはまずい。
 たとえば、写真を載せたりするとき、肖像権というものがかかってきますし、あとは、ほかの
ホームページの中でいろいろな素材があります、それを勝手に自分のコンピュータに取り込んだ
場合にも著作権がかかってきます。それにインターネットだといろいろな情報がすぐに流れてし
まいますので、人を中傷誹謗するものはだめですね。

アプリケーション
『エクセル』
 表計算し、グラフを作ったりするとき使いますね。
『音楽CD』
音楽CDを聴きたいと思ったら、再生ソフトをつかいます。
『ワード』
文書作成に使う。
『E−メール』
メーラーというソフトを使う
『インターネット』
 ブラウザというソフトをつかう。

ネチケット
 ネットワークとエチケットをあわせてネチケットといっている。倫理観を破ったり、他人への
迷惑をかけたりすることをいう。
 考えられるのは選挙で同一地盤から出た候補を誹謗すること。あるいは医者が患者の病気を公
にしてしまうことなど。

 倉 田  信 (ゲスト) 世にも不思議な物語
    いけにえの豚
 ホーンテッドマンションに住む南の博士は、呪術のいけにえになる豚を取ってこいと、命じた。
「もってきたら、ホーンテッドマンションの用心棒にしてやる」といった。
おのおの海図をもらった。茨城県の大洗からさほど遠くない場所に島があった。
 この島にお目当てがある
 島までクルーザーで運んでくれる。
五人の探検隊は驚いた。でっかい、ゴツゴツした岩の中がくりぬいてあって真っ暗だ。ペンライ
トで、照らしながら進む。複雑な迷路になっている。豚はどこかにあるという。僕たちはぐるぐ
る迷いあっているうち隊員が床がぬるぬるしているのに気がついた。なめてみた。血だ。なにか
物体を踏んだ。豚だった。睡眠薬が注射されていたのたった。このままでは儀式の前に、血が全
部抜けてしまうだろう。きっと、睡眠薬が注射されていたのだろう。

    極楽鳥の羽
 千波湖ではいまや、フリーマーケットが開催されんとしていた。小屋があって、その前に、筵
を敷き商品を並べていた。その小屋は丸太で組み立てられていて、先はなたで削り落としてあっ
た。僕は2階へと上がった。手すりはあったが吹き抜けだ。その辺の木切れを組み立てたような
床、ここは床屋になっていた。下のマーケットへといった。牛をまるごとクンセイにして天井か
らぶら下げていたり、ヘびの卵をざるに入れていたり、毒キノコも同じようなざるに入れて売っ
ていた。一人の女が僕の横を通り過ぎた。
 女は、極楽鳥の羽を束にして歩いていたのだ。「僕にその羽全部売ってください」
僕は、交渉した。「いやです。これだけしかない特殊な極楽鳥の羽なのです。幾何学模様に極彩
色のこの色、なんともいえません」といった。
 そんなやり取りをしている間、極楽鳥の羽は2つセットになって遠くへ飛んでいってしまった。

 早 川 眠 子(ゲスト) 水戸アジサイ寺

茨城県の水戸市に保和院というアジサイ寺があります。6月なのでアジサイにちなん小説を書き
ます。

 普通、門前町はあるが、車まで入れる寺は少ない。ここでは寺の中まで車が入れる受付人は梅
屋というと食堂のスタッフで,受付にはいなく、食堂にいた.いいおばさんだ。何時何分入庫、車
番を書いた券をくれる。
 楼門の仁王様が両方にあり、上半身肌の色が神々しい。まるで大魔神のよう。車で寺の中に入
る。コマ犬が両脇に道の奥が本殿である。水呑み場がある。水戸黄門と助さん、格さんの石像も
ある。
 アジサイがたくさん咲いている。ブルー、ピンク、紫、黄色。
 日本庭園がある。昔、秀吉が、名匠に頼んで何年もかかったという京都の醍醐寺のイメージと
ダブる。
 石段を登ると色とりどりのアジサイがここにもあった。四葉のクローバーのような葉がついて
いて、ボンボリのようなかたまりを作っている。花の中を行く。千と千尋の神隠しにもこんなシ
ーンがあった。のりのきいたプルーのワイシャツのカラーのようにシャキシャキしている。
  下は森のようになっていて、アジサイの群生地である。そこへ、ジーパンに白のシャツにス
ニーカーの若い男が、枝をひとつ折って、かばんに入れた。

 それを近くで松の選定をしていたはしごに乗っていた庭師が
 「おい、お前、花ぬすびと」
 と、降りて追いかけ、追いついた。格闘になって両者は下になったり上になったりし、くんず
ほぐれつだった。青年はいきなり立ち上がった。庭師の胸にはナイフが刺さっていた。
 青年は、走って逃げた。取り押さえようと飛びつくのだが、だめである。青年の脚力腕力のほ
うが上を行った。しかし近くの人が、携帯で警官を呼んで、難なく解決した。

 George (ゲスト) 霞ヶ浦の沈鐘 −常陸府中国分寺の雄鐘、雌鐘− 前編
このたびは、当HPの技術的作成をオフィス21の川島氏より依頼を受けているHAL東関東アク
アラインの船長が、川島氏より小説の依頼を受け、自社サイトHAL東関東アクアライン http:
//homepage3.nifty.com/hal7/ に載せている霞ヶ浦にまつわる伝承を紹介させていただくことに
した。全2回の連載予定である。
 以下の文は、古語で書かれた原文を、大正から昭和の初頭頃、故、今泉哲太郎氏により当時の
文体に訳されたものを、現代語訳並びに独自の文体に置き換え、2000年度版『霞ヶ浦情報マップ
−歴史文化編−』国土交通省霞ヶ浦工事事務所監修、社団法人霞ヶ浦市民協会発行に掲載された
ものを転載した。三ッ又沖に眠る国分寺の雌鐘(めがね)の話は、霞ケ浦沿岸各地に伝わる最も
有名な伝説であるが、それ以前、当時の国分寺(石岡市)に二口の鐘が奉納されるに至った経緯
を含んだ伝説が、石岡市に語り継がれているので、以下に紹介させていただく。

          常陸国分寺の雄鐘と雌鐘  ―霞ヶ浦の沈鐘―

 834年(承和元年)の3月のある真夜中、鹿島灘旭の子生(こなじ)浜の沖合で、目映いばかり
の金色の霊光が、天に向かって光り輝いた。渦潮を照らし、東海の深い闇を燦々と白ばめた光り
に驚かされたのは、浜に住む人たちばかりではなかった。潮路遥かに隔てた鹿嶋高天原(たかま
がはら)の森に眠る烏(からす)も時ならぬ東天の明かりに羽ばたきながら、異様な声を立てて、
ざわめいた。
 浜の住人たちは、『これは何かのご来迎(らいこう)の、お啓示に違いない。』と、おそれを
なし、砂浜にひれ伏し、手を合わせて拝んだ。するとその夜、浜の住人の夢枕に錫杖を持ち白衣
まとった銀髯の僧形が現れ、『里の人々よ、今宵の光りは、龍宮国王より、和国帝王の勅願所、
常陸府中国分寺へ献上する雌雄二口の霊鐘が発したものである。諸々の災厄を払い、国民が安穏
を得られるよう、贈られたものであるから、皆で力を合わせ、早く府中国分寺へ届けなさい。』
と告げ、姿を消した。
 『なんという有り難いご瑞光だろう。』浜の住人たちは、夜明けを待って、舟で沖合に漕ぎ出
してみると、鏡のような朝凪の海面に二つの鐘が黒い影を浮かべていた。一行は舟を近づけ、引
き上げようとしたが、鐘は岩盤のごとく水面に貼り付いて、びくとも動かなかった。そのとき、
昨晩夢枕に立った僧形が現れ、呪文を唱えながら珊瑚の念珠を鐘の龍頭に投げ付けて、スーッと
姿を消した。すると二つの鐘は、自ら波間にゆらゆらと浮かび上がったので、引き上げることが
できた。
 鱗状の青錆に包まれた鐘本体を、龍頭からしたたり落ちる海水の滴は、異様な輝きを発し、あ
たかも泳いでいた龍が、陸に這い上がるかのような荘厳な容姿に、人々は皆声を潜め、手足は震
えていた。 浜一番の清浄の地、七日ケ原の仮の場所に、鐘を安置したとき、人々はほっと胸を
なでおろしたと云う。『海神様のお使いだ。』
 群がる見物人は皆、しめ縄の外にひれ伏し、だれも鐘を直視できる者はいなかった。 やがて
二つの鐘は、浜の人々の信心と、精魂をこめて造り上げられた牢固な臼車に載せられ、大地を震
わせ、大勢の浜の人々の手に引かれ、霞たなびく陸路を西へ向かった。
 春うららかな日の昼下がり、二つの鐘は府中国分寺に運び入れられた。旭村子生浜付近には、
現在でも七日ケ原、車作の地名が残り、鐘が通過した所には、八日ケ堤、また車軸が、鐘の重さ
に耐え兼ねて折れた所には、こみ折れ橋等の地名が残っている。 

 仏教の興隆目覚ましい平安の世、常陸国分寺の威勢は満開の花のごとく、その盛りを競い、朝
日、夕日に輝く堂塔伽藍(どうとうがらん)は地方人の目には豪華絢爛の極みであった。毎日6
時から勤行する梵唄鉦聲(ぼんばいしょうせい)と、たなびく香煙は、この世の極楽浄土であっ
た。浜の人々にとって、なにもかもが驚きであった。龍宮城もこのような所であろうかなどと想
像していると、やがて国史の出迎えを受け、法堂の広間に招かれた。一行は茶菓珍膳の厚いもて
なしを受け、多くの布施財物を戴いた。思わぬ霊鐘の入貢に、国分寺側の歓びは尋常ではなかっ
た。間もなく盛大な献鐘式が行われ、高い丹(に)塗りの鐘楼に二つの霊鐘が吊るされた。その崇
厳さは言葉にならない程で、瑠璃色に晴れ渡った天空に紫の雲が開けて、花びらのごとく降り注
いだ。諸々の仏の化身は、幻のごとく鐘の上に現れては『この鐘の音は、常に四天王の威力を伝
えて、一切衆生、三界の苦悩を断ち、必ず国土を守りぬく』と宣言し、再び鐘の上に消えていっ
た。僧侶たちはこの霊象を敬い慎んだ。合掌、九拝し、護国品三部大経五十巻を7回轉読(てん
どく)し、勝業成就を誓願した。紫の衣をまとった見事な容姿の沙門の手に撞木が握られ、始め
て霊鐘が撞(つ)き鳴らされた時は、雷鳴の如く山河を震わせ、その余韻は遠く幽玄の響きを伝え、
人々の邪心を打ち消していった。その音色のすばらしさに、身をすくませぬ者はいなかった。こ
の鐘の音が国分寺の森を揺るがし、朝夕響き渡るようになってから、不思議にも国内にはびこっ
た罪科はなくなり、悪疫も除かれ五穀も豊かに実るようになった。常陸国民は永年の苦悩から解
き放たれたのだった。人々は天恩の有り難さに感謝し、喜びの涙は国内の草木にまで浸透した。
     後編へ続く