小説の茨城  茨城をテーマまたは舞台にした小説集です。小説
 の舞台は、霊峰筑波、徳川光圀公の本拠であった
 水戸、東国の武神を祭った大社を持つ鹿嶋など。
2004年7月号
 
 矢 作 幸 雄  影与力『不殺の剣』Vol.3


舟は大川から水路にはいり、幾度か曲って富岡八幡宮先の門前東町の河岸へ着いた。清兵衛が案
内したのは「入船」という侘びた茶屋であった。以外にも造りは新らしいようだ。
 川風で冷えた身体が、温められた部屋で和んでいく。暑さ寒さを超えた一伝にも心地良さが感
じられる。仲居が茶を運び、ほど良い茶を喫していると清兵衛が手水から戻り、女将が障子越し
に挨拶をして入ってくる。
 「こちらは高島さんと申される大変お世話になったお方。よろしくな」
 「女将のきよでございます。どうぞごゆるりとおくつろぎを」と如才ない。仲居が酒を運び料
理を運ぶ。
 「高島さん。ご苦労でございました」と清兵衛がねぎらう。くせのない、それでえもいわれぬ
美酒が喉をうるおして胃の腑へ下ると身体が崩れていくようである。
 料理も吟味されたものらしく、口に運ぶとなにかをまぶした鯛の造りとか、洗いは鯔の中でも
最も上味の寒鯔らしく、すべて魚としての姿が見えないが味は良い。
 気配を感じたらしく、女将が、
 「今どきでございますので、魚の姿をした物はなるべくお出ししないことにしております。ど
うぞお許し下さいませ」
 「成程。それほどまでの気遣いをするか」
 「高島さん。ここの料理ははじめて味わうものと思いますよ。板前が捻りに捻った品ですから
ね」
 「うまい。それで、もう少し喰べたいというところで終わるのがなんでともいえない」
 「こんばんは、失礼いたします」
 涼やかな声がして障子があく。つと入って障子を閉めた芸者二人が、
 「いらしっやいませ。今晩は有難うございます」
 「おお、定吉に吉奴。来られたのか」
 「加島屋さんのお席ですもの、どうにか都合をつけて………。でもあまり長くは居られません
ことはお許し下さいね」と定吉。
 吉奴は一伝に瞳を向けて会釈した。
 「吉奴、こちらは高島さん。私の命の恩人だ。丁重にな」
 「あら、旦那。わたしはいつでも丁重ですわ。荒っぽく見えるとおしゃっるのなら、それは地
ですからね」
 一伝は吉奴の酌を受けながら、無精髭を恥ずかしく思った。すると吉奴は、
 「お髭が素敵です。なにかもうゾクゾクしたりして」
 にっこり笑いかけて酌をする。一伝が生れてはじめて見るあでやかな女性であった。
 一伝は次第に陶然となった。やがて定吉が三味線を奏でながら短かな歌を唱う。吉奴が舞う。
歌い舞い終って二人は綺麗に座って礼をいった。
 「ご苦労様、また来月も頼みたい」
 深川での宴は終り、再び猪牙舟で日本橋へ戻り、一伝は隠居所へ雪崩れるように入って眠った。
 翌朝、清兵衛の処へ来る髪結が、一伝の月代と髭を剃り、髷を直した。
 「元にお戻りになられましたね」と清兵衛は肩衣装に戻った一伝をしみじみと眺めていった。
 「大変世話になり申した。また月末の二十四日頃邪魔をいたす」
 「畏まりました。宜しければ駕篭を呼びますが」
 「江戸の町を知るためにも、歩いて戻ってみたい」
 清兵衛は池端を呼び、
 「お前、吉川様をお屋敷までお送りして来い。ついでにこの品をご用人に差上げてご挨拶して
くるように」
 「へい。それじゃいって参ります」
 武家の供用の紺の法被を着て木刀を背中に差し、池端は三歩遅れて歩く。
 日本橋から神田まで、江戸の商家の立並ぶ喧騒の中を歩き、須田町の茶店で休憩する。
 「池端、お前の名は誰が付けたのか」
 「へい。先代の旦那様で。上野の池の端に捨てられ、泣いているのを拾って下さり、そのまま
名づいたと聞いております」
 「そうか。やはり父母を知らないのだな」
 「旦那様方が良くして下さるので、淋しく思ったことはありません。ただ、一度は親に逢って
みたいとは思います」
 一伝は自分の境遇については語らなかった。いずれ、清兵衛から伝わるのであろうが、武士は
言挙げせず。ということだ。
 須田町から九段坂を登り、田安御門の枡形の石垣を左に見て、三番町の通りの中程の右側の旗
本屋敷の道を行く。
 なかには大身の旗本の屋敷も点在するが、多くは大番組の二百石前後の身分の低い旗本の屋敷
が並ぶ。
 この辺は、現代でいうなら、九段の靖国神社の参道に当る。大村益次郎の銅像の周辺と考えて
良いかも知れない。
 似た様な屋敷の造りで、勿論表札などは出していない。新米の旗本である吉川一伝にとっては、
どこが自分の屋敷であるかわかりにくいところだが、見覚えのある辻番所が見え通りの左三つ目
が自分の屋敷と理解した。

 池端は迎えに出て来た茂平に清兵衛からの預りの品を渡し、挨拶をした。そして一伝へも丁寧
に頭を下げると帰っていった。
 屋敷へ入ると一伝は聞く。
 「留守中なにもなかったか」
 「はい。なにもございませんでした」
 「少し疲れた。湯を沸かしてくれるように、それに夕飯になる前に酒を頼む」
 「はい。湯はすみが支度をしておりますので少しお待ち頂きます。肴はありあわせで」
 「それで良い。話もあるので茂平も酒を一緒にするが良い」
 「勿体のうございますが、それではお話の聞こえますところで」
 やがて風呂から上った一伝は、座敷ですみの造った鮪のぬたで濁酒を飲む。「入船」のような
凝ったものではないが、それなりに美味い。座敷の端の方で茂平も茶碗を口に運んでいる。
 「おすみ、茂平にもぬたを持ってきてやれ。うまいものをわし一人では喰べにくい」
 すみが茂平の膳へもぬたを添える。
 「茂平もすみも聞いてくれ。中間を一名傭いたい。若党も兼ねられる者をな。茂平は用人とし
て屋敷を守り、若いのは連絡として使う。加島屋に頼んでおく。見つかったら手紙をよこすから、
いろいろと教えてもらいたい。片長屋門の物見部屋を使わせたいので、すみは若い者の為に掃除
しておいてくれるように」
 「はい畏まりました。一両日中に掃除をいたしまする」
 すみの心盡しの夕飯も終って膳が下げられ、部屋に布団を敷いて用人夫婦は裏の長屋へ帰って
いく。
    八話へつづく
 汀  安 衛 『海を煮る』Vol.1

 旅立ち

 「あーはぁはぁはー」
四人が大きな声で笑った。笑い転げている。
そんな中で笑いをかみ殺しながら親方が
 「ところで行く当ては有るのか、うー」
なかば謎をかける目付き言った。文太の様子をみながら
 「どうだ、良かったらここで働いてみないかー」
後ろで妻のマツが背中を突付いている。その顔は、わたしゃ知らないよと言っている。
「身体が持てばなー」
とそばで二人の若者が呟く。
そうした言葉が文太をやる気にさせた。聞かない振りで
 「親方―、私のような者でも使って貰えるのですかー」
 「お前のはっきりした態度が気にいった」
 「三年、死んだと思って働いてみろ」
気安さか、尻上がりの浜言葉が自然と出た。
 「仕事はきっいぞー、夜逃げをしてもかまわんぞー」
半ば冗談とも本気とも取れる言葉が付いてきた。
 浜の砂の上に正座した文太は
 「親方、おかみさんよろしくお願いします」大きな声で言葉を返した。
ほぼこの態度、返事で親方の腹は決まった。
後は本人が努力するか、根を上げないかに懸かっている。
 文太は頭に付いた砂をハタキながら礼を述べた。とりあえず飯と寝る所の心配は無くなった。
 親方は、自分の目に狂いは無いと思いながらも一抹の不安はあった。ただ,何時もの流れ者と
は態度や顔が違っていた。腹の中で、宮司家で十年辛抱した男だ。オレの目に賭けて見たい。そ
うした気持ちが動いた。流れ者を助けると言うほどの義侠心は無い。と同時に忙しい、人が欲し
い。そうした打算も働いた。
 「気楽にやれ、一からだ。仕事をする前に必ず聞け」
と言って釜場に戻った。忠告に近い言葉が文太の心に刺さった。残った幸三、留吉とおかみさん
が文太をしみじみと見ながら、大丈夫かなーと顔に書いていた。
 「分太さん、あそこにあるのが家だ、ここの仕事を一廻りし見たら夕餉の支度をし
てくれ、家には娘がいるから」
開けっぴろげな言葉と態度に半ば呆れながらも親切と信用された自分が嬉しかった。
  続く

 George (ゲスト) 霞ヶ浦の沈鐘 −常陸府中国分寺の雄鐘、雌鐘− 後編

 その後、長い歳月を経て、徳川の世となり、仏教はかつての活気を失って、国分寺も衰退して
いった。霊鐘は、年に一度4月8日の薬師如来の縁日に撞かれるのみとなった。寛永16年の秋、
城下の水田がしばしば水害に見舞われるため、時の府中領主、皆川山城守の令により表川(恋瀬
川)両岸に堤防が築かれる事になった。国分寺の鐘の音は、遠くまでその音が響き渡るというこ
とで、長い距離を持つ建設現場に、時を告げるために役立つという理由から、やがて町役人の手
によって雌鐘が、恋瀬川沿いに建てられた普請小屋の大柱へと移されて行った。それから毎日、
筑波山の麓にまで、仕事の開始、終了を伝える鐘の音が響き渡った。人足のなかには、『時世時
節じゃ河原で暮らす百姓、釣鐘、土かつぎ』と唄を唄って、この霊鐘の在り方を嘆く者もあった
が、『あの鐘は普通じゃない、南蛮の黄金が混じっている。金にしたら大した値打ちだ... 』と、
うわさする者も多かった。
 このころ、府中の西2里、鬼越峠の山奥に巣食う盗賊がいた。昼間は洞窟でどぶろくを食らい、
日が暮れるころ風のごとく街に出没して、物盗り、追いはぎ、誘拐等、悪事の限りを尽くしてい
た。『昨夜は彼処の土蔵が破られた。』『今夜はここの娘がさらわれた。』等と、毎日のように
伝わって来る悪い知らせに、財を持つ人達は、毎夜枕を高くして眠れなかった。公儀の捜索は厳
しくなり、捕手は血眼になって、これを追いつめていた。
 ある夜の、水面が眠る九ツ時、この盗賊が恋瀬川に現れ、河原に吊るしてあった雌鐘を外して
舟に積み込み、棹(さお)音も立てずに川下の闇の中へと消えて行った。ヨシの間に眠る水鳥を驚
かせながら、高浜の河岸を過ぎ、八木の鼻を抜けて、舟は開けた海面に達した。『ここまで来れ
ば、もう大丈夫、しめたものだ。』と、盗賊は独り言を言いながら、微弱な星明かりを通して、
盗んできた雌鐘を見ると、あたかも魔性がうずくまっているかのような物凄い圧迫感を感じ身を
震わせた。一つ、二つ見えていた両岸の燈火も、遥か遠くなり、舟はいよいよ霞ケ浦の難所、三
ッ又沖にさしかかった。この時、一点にわかに曇ったかと思うと、筑波山の方向から凄まじい風
が吹き始めた。間もなく波は高さを増し、波頭が砕け始め、舟はひどく揺れだした。『大変な時
化(しけ)になったぞ。』賊は一心に櫓を漕ぎ始めたが、舟は一向に先へは進まず、後ずさりを
始めた。『不思議だなー....』盗賊は、薄気味悪くなって夢中で漕ぎ出したが、雨は強く降りだ
し、風は益々強まり暴風と化した。舷に叩きつける大波で、舟はいよいよ転覆しそうになってき
た。その時、突然雌鐘が唸りを生じ、『府中国分寺恋しやガーン...、雄鐘恋しやガーン...』と
恐ろしい音色を震わせて鳴り渡った。盗賊は驚き船底に伏した。その途端、目が眩むような稲光
とともに、天地を引き裂くような雷鳴が轟きだした。『あー、とうとう水神様のお怒りに触れた
のだ....。』盗賊は、豪雨の中ゆっくり立ち上がると雌鐘を抱き上げ、荒れ狂う波の中に投げ込
んだ。すると不思議なことに、風雨は、刻一刻と静かになり、波もおさまってきた。暗雲はから
りと晴れ、元の穏やかな海面に戻った。盗賊は舟の上で一時、気絶していたが、やがて息を吹き
返し、当たりを見渡した、嵐の去った後の海の清らかさと、天上に瞬く星の光明を見上げて、思
わず手を合わせた。その後舟は流され岸にたどり着いた。盗賊は今までの悪行を悔い改め、鐘の
精霊を弔って菩提を念じ、名を善鐘と改めて鹿島郡のある寺の黒衣の僧となった。

 一方、三ッ又沖に沈んだ雌鐘は、水戸光圀公の領内巡礼の際、この話を聞き、『それは誠に惜
しい鐘だ。』と言って、家来に引き上げを命じた。女性の髪の毛で太い毛綱を編ませ、引き上げ
を試みたが、鐘は、水面に姿を見せた途端、綱の結び目がプツリと切れ、再び水底に沈んでいっ
た。その沈む姿は、悪魔が振り乱した蛇髪のように、鐘の胴に生えた水草が恐ろしい形相を示し、
そのあまりもの恐ろしさに、光圀公は二度と鐘を引き上げようなどと言わなくなったという。水
が透明だった昭和の初期頃までは、天気の良い凪いだ日には、鐘に生えた水草が、青白い水を透
し、龍が泳いでいるように見えたという。そして雌鐘は、毎日米粒一つ分の幅だけ府中国分寺の
方向へ転がっているが、洪水や嵐の都度、元の場所へ押し戻され、府中へは近付いて来られない。
それを呪う龍頭の恨みが、水面に渦を巻いて流れ、往来する船は、この付近を避けて通っている。
今もなお、波打った水面が漠然と広がる三ッ又沖で、天候が悪変する前などに、また元の場所へ
押し戻される悲しみを含めてか『府中国分寺−雄鐘恋しや...、ガーン』と鳴り渡り、その音は、
北風の時でさえ、府中の方へと響いていくという。

 雄鐘は、東の鐘楼が壊れたため、仁王門に吊っておいたが、明治41年、町内失火のため、雄鐘
は仁王門とともに消失した。溶解した雄鐘の地金で、霊鐘の分身である雄鐘の模型二百口を謹製
し頒布された。

 雌鐘を失って三世紀半以上の年月を経て、今では雌雄両鐘とも府中にはない。いにしえの法音
は、今は空しく松風に聞くのみであるが、不滅の鐘魂は、霞ケ浦沿岸の人々の心の中に脈々と息
付き、霊妙な神話として、語り継がれている。

              在りし日の雄鐘のプロフィール
          高さ169cm 直径106.1cm 厚さ16.7cm 重量507kg